三才山の紅葉

三才山の紅葉
先日の日曜日、初めて鹿教湯温泉にある三才山病院に行った。

澄んだ青空と既に終わりかけの紅葉が、妙に痛々しかった。

9月のシルバーウイークに、遊びに来ていた義母が我家で倒れた。

山の救助とは勝手が違い、ひどくすることが無かった・・・

鼾をかいている義母にしてあげられることは、救急車を呼ぶことと、

俗に言う《回復の体位》をとらせることだけ・・

あとは精一杯呼びかけることぐらいであった。

全ては迅速に、無駄なく、最も理想と思われる病院まで辿り着けたと思う。


しかし、医師の説明は、
良くて半身麻痺が残り、言葉も無理かも知れない・・・、そして最悪の場合 ・・・



私は殆ど諦めの気持ちでいっぱいだった・・・

数年前、実の母もこの 脳梗塞 で自由を奪われ、言葉を奪われ、希望を奪われ、
数ヶ月に一度転院を繰り返したあげくに、肺炎で死んだ。

全く同じような、”奥”の母の、不幸の叩き売りみたいな出来事に、

諦めがいっぱいだった・・・

母と義母が完全に重なってしまったのだろう・・・



ICUには10日近く居た。

三才山の紅葉
しかしそんな義母は、私よりも素晴らしく強かった。
”奥”の献身的な行為も際立っていた。


義母は今、三才山病院でリハビリの真っ最中。

そこに松葉杖の私が入って行くことが、とても奇妙ですまない事に思えて仕方がなかったのだが。

動かない筈の片足に装具を付けて、杖で歩き、言葉もある程度理解できる。




そんな義母は、車の免許が切れることを心配していた。

初めは何かの書類の期限が切れることを気にしているとしか分からなかったのだが・・・

彼女は、未だに車を自ら運転し、出歩く気でいたのだった。



倒れた日からの数日間、私が入院を止めようかどうしようかと思い悩んでいたとき、

”奥”はいとも簡単に言った・・ 『手術すれば。』

実は手術は6月から詳細に決まっていた。

2つの病院は直線で1キロちょっと、ほぼ毎日見舞いに来てくれた。

義母の転院とともに、その回数が減ったのは、仕方ないことだが。



私は入院後、多少の相談に乗ることはあっても、出来ることは無かった。

当然、転院の際にも何も出来なかった。

母と全く同じように倒れた義母。そしてその瞬間から既にろくにすることの無かった私。



澄んだ青空と痛々しく感じた紅葉・・・寒々した三才山病院の風景、

むしろ私の気持ちが、寒々しく痛々しくあって欲しかったのかも知れない。






・・・しかし、それにしても何にも増して、

この 明るさが必要 なんだな、、、と思わずにはいられない日だった。




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Posted by 風来末 at 01:14│Comments(0)日記
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